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中国と日本の社会福祉に関する研究
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DSC05270.JPG
これは
忍者Fが担当している唯一の人数の多い教室です。

学部1年生の「社会福祉概論」です。
「多い」といっても200人や300人の大教室ではありません。
*ふだんは、院生相手なので、ごく少人数です。

いま、学生がパワーポイントを使って発表しています。
(「年金について」発表しているチームです)

私は、後ろの方で聞いています。写真も撮ります。

写真が小さいのでよく見えませんが、右手で、ノートパソコンを開いている人が忍者Cさんです。
Cさんは、〈私の苦手な)パソコン関係の学生への指導や、資料配布など、教室の進行で重要なことはみんなやってくれます。

これは、私がCさんに個人的に頼んでいるのではなく、TAティーチング・アシスタントという制度で、決められた報酬が大学と文部科学省から支払われます。誰が、どの授業のTAになるか、何回分やるかなどはCさんの指導教授であるT先生の意見も聞き、公平のために会議で決めています。
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このブログは
中国からの留学生3名の「忍者」
すなわち、忍者C 忍者L 忍者W が中心に作ったものです。(2008年11月14日の授業中)
かくいう私だけが日本人で忍者Fを名乗っています。

留学生3人の共通点

・鹿児島に住む
・社会福祉学を学ぶ
・中国の「田舎」(失礼・・北京や上海ではない・・の意味)出身
・バイトをしている

それぞれの年次
忍者C 修士2年 先日修士論文を提出した・・博士課程に進学する模様
忍者L 修士1年 これから修士論文を作成するための準備を本格化
忍者W 研究生 4月から修士課程に入学すべく現在準備中(入学試験は2月28日)

それぞれの研究テーマと指導教員
忍者C 中国の農村医療の改善   T教授(社会保障論)
忍者L  運動療法            A教授(リハビリテーション)
忍者W まだ模索中の様子です(学部は、観光学科) M教授(心理学)

というわけで
研究のテンポに相違があります。研究上の指導や生活面での支援は担当の指導教員がされています。

私の役割
日本語能力のアップ
そのための機会を増やす・・つまり、この「中日忍者隊」を読む、書くことをとおして日本社会により参画してもらう。また、中国の目で日本社会を見て欲しい。
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大隅半島の根占港から

南へ下ります。

途中で 右手に 開聞岳を仰ぐことができます。

1月3日午前中。
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右手の
人の影に

細長い胴状のもの

これが篤姫が18歳まで住んでいた今和泉家にあった

手水鉢だとのこと。小学校の入り口付近です。

先に紹介した井戸とこの手水鉢が残っているだけです・・

1月2日 午後写す。
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鹿児島中央駅前を走る。

朝夕は

通学 通勤で 混みます。

日中は 買い物客。

女性の運転手さんも何人か。

市営ですが、市電部門は黒字。バス部門は赤字。

1月11日写す。
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上野公園内

東京国立博物館

なぎなた。

日本では、武器も美術品となった。

*少し古いのですが、2008年12月20日写す。
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1月3日

ぶーげんびりあ号

フェリーのデッキから

大隅半島を望む

いつもは坂之上のキャンパスからの遠望ですが

この日はどんどん近づきます。
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きのう
昼にでかけた「地球畑」の壁に張ってありました。

自然農法の本が売ってあったり

畳みの部屋があったり

お客様には子供連れ 車椅子 そしてお年寄り

店の雰囲気が違うのです

食事をして帰った・・というより 懐かしい家でくつろいだ という雰囲気でした。

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茜色の約束

というサイトは

「鹿児島散歩」のブックマークから出あったものです。

その2008年11月5日付の記事にこの写真がありました。ご自宅から散歩された時の写真です。

鹿児島県の北部地方(「北薩」ということがある)にお住まいのようです。

お子さんが三名おられて、A1 A2 A3 という名前で登場します。

私(忍者F)などは自分には子どもがいないのでこのブログを読んで一緒に悲しみ喜びしています。
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鹿児島の地図を見ると
2つの半島が突き出ています。

左側が薩摩半島
右側が大隅半島。

この写真は、薩摩半島の山川港から大隅半島の根占港へわたるフェリーの甲板から撮ったものです。

少し、小さいのですが、正面にすっきりと開聞岳が写っていますね。
標高924メートル。

1月3日、忍者F写す。
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「地球畑」という鹿児島県内で有機農業の普及に取り組んでいる人々が直営でやっているお店。

2006年末に下荒田にオープンした
地球畑カフェ 草原をわたる船」という店に今日お昼行きました。

定食のこのサラダが付いています。

「今日の人参は、大口の高橋さん・・」という具合に生産者の名前が掲示してありました。
参加する生産者は140名を越えるとのことです。

寒い休日の昼ですが、続々と家族連れが来ていました。
サイトのアドレス http://www.chikyubatake.jp/
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篤姫が18歳まで住んでいた家は
いまはなく
現在その敷地には小学校と高校が建っています。
かなり広いです。

この井戸ですが、全部で3つあった。四角い。小学生が遊んでいてこの角で怪我をするから、と四隅をタイヤで保護していた。そのうち2つはそれでも危ないというので埋めてしまった。今度は、残るこの井戸を壊す番でした。

そこへ、「わっと沸いた」のが、テレビドラマによるブームでした。
一転、立派な表示が作られた・・・
うそのようなホンとの話ですね。
小学校の校庭ということで、ふだんは入れません。正月休みということで、特別に入れてもらえました。

外見は四角ですが、中は、まるくくりぬかれている不思議な井戸です。手を入れてみました。
海の側ですが、真水で美味しいということでした。

*忍者F 1月2日写す。
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ヒント。
菜の花が咲いています。→「菜の花マラソン」(1月11日)

ヒントその2
うっすらと左手奥に見えるのは
薩摩富士・・開聞岳のデザイン。

正面奥のお風呂の入り口みたいなのが曲者です!
「女湯」ではなく女子便所
「男湯」ではなく男子便所・・・「湯の町」をアピールしているのでしょうか?

JR指宿枕崎線 の指宿(いぶすき)の駅前広場でした。

*2009年1月2日、忍者F写す。
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野々村仁清作。

京都。

写真は、上野公園内の東京国立博物館、常設コーナー。

日比谷の出光美術館の入り口にも似たものがあったが・・

仁清のもので想い出すのはは、石川県立美術館の雉のつがい・・特別室のガラスの中においてあった。

2008年12月20日、上京時に撮る。
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昨日
1月11日 昼過ぎ。

鹿児島中央駅へとわたる信号で。

鹿児島の市電はカラフルでいつみても飽きないです。

この写真では、よくみえませんが、電車の向こう側、角の敷地には建物があったのですが、少し前に取り壊されたのです。このあたりは、「一番街」といって古いお店が並んでいます。最近は、シャッターが降りていたり、新しいビルの建設が盛んです。必死になってよいところを壊してきた・・とすら外部の私にはみえます。
九州新幹線が2011年春全面開通するというので、この勢いはいっそう強まるでしょう。
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今日午後1時ごろ

鹿児島中央駅前広場に

練馬ナンバー

移動図書館が・・
子ども向きのようだったので
写真だけにしました。

ほんとうに東京からきたのだろうか?
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このブログにリンクしている

奄美マングローブ原生林写真巡り

から

カイツブリ です。

*上記ブログの1月10日付け記事からお借りしています。
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薩摩半島の南 山川港から
大隅半島の南 根占港へ

50分のフェリーの旅。
間近に開聞岳 かなたに桜島。

室内には椅子席はありません。こうして乗客がめいめいのスタイルで休んでいます。こどもはよちよち、ばたばたしたりしています。
すっかり寝込んでいる方もいますね。

2009年1月3日、忍者F写す。
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2009年1月1日。
ものぐさな私でも新年のお参りぐらいは・・と
近くの荒田八幡へ。

なんと
境内にはぎっしりの乗用車。なかには参拝の人が前へ進んでいるのにどんどん中へ入ってくる立派な車も。

この写真に鹿児島が象徴されています。立派な神社と楠の森。
我が物顔の車。近くに駐車場はないのか。公共交通の未整備。乱暴な運転の車族。

これでは
新年の改まろうとする心も乱れますね。車で乗り付けた方々は何をお祈りされたのでしょうか?
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西郷隆盛は
あちこちに書を残していますね。

2009年1月4日
指宿の宿のロビーにあったもの。(写真の右側)

明治6年頃の書とあった。
「こうして(鹿児島に帰り)松籟の音を聞いていると、東京にでて派手な生活をしたことの無意味さが身にしみてわかる。なんという意味のない3年だったのか」というふうなことらしいです。
教養に乏しい忍者Fには、一読してわかる字は「松籟」と「三年」ぐらいですが・・最後の署名の「南州」が読み取れるのでは?征韓論に敗れて薩摩に帰り山野を歩いていた頃の書ということなので貴重だと思いました。

その左は、西南戦争で熊本の鎮台を守り、西郷と戦うことになった谷干城の書で、かっての友をいたわる内容のようでした。鹿児島には、こういった書があちこちにさりげなくかかっており、「おそるべし」と思わされる。
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上野の
東京国立博物館、「東洋館」。

中国の古代のものからたくさん。
階段が多いので健脚?向きですが・・

中国文明の偉大さに触れることができます。
2008.12.20 忍者F写す。
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ここは
鹿児島湾。篤姫が子どものころ遊んだ浜です。

遠景には、たしかに桜島が。
鹿児島市内でみるのとは形が違いますね。

先般のNHKのドラマ撮影のときは
江戸時代と同じ場所でロケをする予定でしたが
これでは無理ですね。
1月2日午後。
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これは、フェリーの入り口です。
鹿児島半島の南端山川港と
大隅半島の南端近くの根占港とを50分で結んでいます。

昔は、人間の乗客は2階のほうから乗船したのですが・・
いまは、2階の乗船口は閉じています。
まず車がここから先に入り、人間(車のない人)の方は、最後に
車の間を縫って乗船します。おおむね、お年寄り。
常識からいえば、まず、人を先に乗せてあげるべきでは・・

正月早々 いやみを言ってもしょうがないので 写真をとるだけにした忍者Fです。1月3日。
03fca7e3.jpg豊玉姫神社。
1月2日午後、忍者F写す。
これだけでは
日本の田舎のどこにでもあるお宮ですが・・

JR薩摩今和泉駅から歩いて10分。

篤姫が育った家から歩いて1分のところにあります。
篤姫(当時は、一子)が江戸へ行くときなどはここでおまいりしてからでかけた
・・と、説明のおじさんはいっていました。(18歳まで薩摩今和泉にいた)
25-3.jpg先ほど行われた準決勝で
前橋育英高校を5-3で破った。

決勝戦は
明後12日です。

ふだんは
サッカーには関心がないのですが
「鹿児島」ということで・・

*写真は、同校HPから、お借りしました。
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